「できる」という勘違い
おお、いきなりどうした。と思われるかもしれないのですが、時効だと思い話したいことがあります。時間に余裕のあるときで、なんとなく手持ち無沙汰の人だけ見てください。できれば大人よりも、子供達に見て欲しいです。
二十代前半の頃に仕事であるプロジェクトのミーティングをしているときのことです。
上場企業の方々も含んだ、一般的に「すごい」と尊敬される大人たちたちがテーブルを一斉に囲んでそれぞれ案を出し合っているとき、「アイディアは良いですけど、それはちょっと難しいですね。」と言われたことがありました。
「ああ、やっぱり私はまだまだなんだな」と思いつつ、一応理由を聞くとこう返ってきたのです。
「前例がないですから。」
しばらくどう意味か、本気で考えてしまいました。
なぜなら文字通り、本当にその言葉の意味が分からなかったのです。
それから何度かそういった言葉を聞くことになるのですが、その時は(今もだけど)私にとって「前例がない」と「出来ない」は全く異なることであり、どうしても結びつかない事柄でした。
「出来ない」からのスタート
私の人生はほとんどが「出来ない」からスタートしているので、いつもどうしたら出来るようになるか考えるところからの積み重ねでした。だから、たくさん失敗もしています。顔から火が出そうなものから、人様に迷惑をかけてしまったものまで、失敗の種類と数は様々です。29歳になった今でも、そういうことがたくさんあります。
失敗しても挑戦をやめずにいると、良い結果が出ることもあります。そうすると人は結果だけを見て、「運が良かったね」とか「もともとそういうものを持っていたんじゃないか」、はたまた「あなただからじゃないか」というのですが、それは全く違います。

大して特別な才能がない私は、英語が話せるようになるにはどうしたら良いか考え、お金がないから辞書を買ってAからZまで全部の単語と文章を暗記したことで習得したし、お金持ちばかりがいるスキーの世界で、自分でスキーを買って冬に遠征に行けるように誰よりも沢山バイトをしていました。トレーニングの時間が減ってしまうことが嫌で、往復10キロのバイト先までランニングで通っていたりしていました。